【リプレイもどき】あまりのロトロ おまけ話【捏造あり〼】
前作の後日談にして酷いお話。
戦闘部分以外は、基本的に捏造です。キャラ崩壊にご注意。
#よその子 #柳火(黒パナ)
#うちの子 #ファスト
「再戦、ですか」
「そうだ」
あれから数日後。
再び謳う烏亭を訪ねたファストへと、柳火が頷いてみせる。
「アンタに負けたまんまってのは悔しいんだ。今度こそ勝ってみせる自信もある」
「えぇー……」
せっかくこうしてまた顔を合わせたのだから、とやる気満々な様子で鼻息も荒く──といっても、兜のせいもあって正確な判別はつかないのだが──詰め寄る相手ではあったが、言われる当人はと言うと険しい顔で呻いた。それはもう嫌そうな声で。
「面倒です」
「いいじゃないか別に、減るもんでは無し」
「減りますよ、体力が……大体、疲れる事は好きではありません」
「じゃあ何でこの間はOKしてくれたんだよ!?」
「そういう気分でしたので」
「ぐぬぬ……」
そうなのだ。ファストは、こう見えてマイペースに我が道を行くタイプなのである。自分が興味を持ち、したいと思った事は対価すら求めること無く進んで引き受けるくせに、したくない事はどれだけ金を積まれてもしない。そこを無理に押し続ければ、今度は完全にへそを曲げて対応すらしてくれなくなる。
さすがにその段階まで行くのはマズい、と柳火は黙り込みどうしたものかと思考を巡らせた。とりあえず、まずは相手のやる気を引き出さねばならない。それには確実に食いつくだろう餌を提案しなければならないだろう。
(こないだの情報屋は何と言っていたか……)
柳火は、次こそは打ち勝つ為に対策を練るついで、駄目元で情報屋にファストについてを調べてもらった際の話を思い出した。馴染みの盗賊ギルドに赴いた際、居合わせたその情報屋──盗賊ギルドより闘技場が似合いそうな、半裸で傷だらけの、蛮族感のある図体のデカい男だった──を名乗った男は、金貨の袋を満足気に弄びつつこう言っていた。
『その男を食い付かせたけりゃ、ネタは選ばねぇとな。例えば、そりゃあ古代遺跡についてだったり、或いは未開の地に潜む竜種の話なんかなら確実だ。……が、まぁそんなモンはそうホイホイ落ちてるネタじゃぁネェ訳だ。そういう時はコイツを使うのさ』
言って、情報屋が取り出して見せたのは瓶詰めにされた黄金色の液体である。いや、液体と言うには少々粘度が高い。
『コイツはちょいと遠方の土地で手に入る極上の高級蜂蜜さ。どこぞの王宮御用達なんて話もある一品でね。お値段は張るが、なめらかで上品な味わいは値段相応の価値がある。……奴はコイツが好物でね。ここまでの上等品があるとなりゃあ、確実とは言えねぇが……ま、八割の確率で食いついてくれる筈だぜ』
情報量に上乗せで持っていかれた料金は多少痛かったが、譲ってもらったのは言うまでもない。柳火はそれを素早く取り出した。何を唐突に見せるのかと目を丸くしているファストは、その瓶の蓋部分に貼られたラベルを見て即座にそれがどういう品なのかを察したらしい。困惑の表情で口を開く。
「……コレは……また貴方、よくもこんな珍しい蜂蜜を見つけてきたものですね。蜜の材料になる植物も特殊な上、取り扱い先も殆ど無い関係で市販には出回っていない品ですよ? こんな物を、一体何処で?」
「嗚呼、何、仕事の関係でちょっとした縁があってな。……なぁ、ファスト。タダとは言わない。再度の手合わせに短時間付き合ってくれたら、これをアンタに譲る。だから付き合っちゃくれないか?」
「交換条件ですか」
ほんの僅かに迷いを見せる様子に、柳火は畳み掛けるように続けた。
「本当に短時間で良い。一時間だけアンタの時間を貸してくれ。勝っても負けても、それで俺は満足する」
「一時間だけ……ですか。…………、………………わかりました」
ため息をついて、ファストは渋々と首肯する。
「本当に一時間だけですよ?」
「分かってる」
「ちなみに、一時間の間はずっと貴方の手合わせをすればいいという感じで?」
「そうだ。気絶したとしても回復して叩き起こしてくれたら良い」
「……物好きですねぇ」
軽く引き気味な様子でそう呻いたファストは、ふとそこで、思い出したように口を開いた。
「……そうでした。戦い方は、私の好きにやって構いませんよね?」
「ん? あぁ、勿論。当然だ。アンタはアンタで好きにやってくれていい。ただ、手加減だけはしないでくれ」
「そうですか。……了解しました。では早速行きましょうか。先日と同じ場所で良いんですよね?」
一体何故そんな事を問うたのか。
そんな疑問が一瞬頭を過ぎったが、結局確認するタイミングを逸した柳火は後にその事を後悔する事になるわけだが……勿論、この時点で彼にそんな未来を知る由もなく、そのまま先日の広場へと赴くのだった。
◆ROUND:01 ~『竜殺しの牛蒡』編~
「なぁ」
「何でしょう」
「それは……何だ?」
「牛蒡ですが」
「ゴボウ」
「野菜ですね」
「それは知ってる」
「じゃあ分かっているじゃないですか」
「いや、野菜なのはわかってるんだが!」
「じゃあ何がわからないと?」
「何でそれをアンタが武器みたいに構えて俺と対峙してるのかって所がだよ!!!」
力いっぱい柳火は叫んだ。それはもう腹の底から、心から叫んだ。
まあ、目の前に真面目な顔をして牛蒡を携えた中年紳士が居れば、誰でも叫ぶと思うが。
「どういうことだよ!? ふざけてんのか!?」
「いえ、至極真面目ですが」
「それならそれで大問題だが!? というか何で牛蒡なんだよ!? 本気で手合わせしてくれって言ったよな!?」
「一々細かい上に煩い男ですねぇ……」
心底嫌そうな顔をするファスト。あまりにもそれは理不尽ではないか、と柳火は思った。
何が悲しくて牛蒡装備の男と本気で戦わなければならないというのか。
「本気も本気ですよ。だからコレを出しました」
「どの辺りが本気なんだ!?」
「これは『竜殺しの牛蒡』です」
「りゅうごろしのごぼう」
思わず聞こえた未知の単語を復唱する柳火。
「いえ、実は先日、とある場所で大量の竜を狩る機会に巡り合いましてね。その際に手に入れた一品です。コレには『竜殺し』の概念が込められています。立派な武器と言えるでしょう」
「……酒とか飲んでないよな?」
「素面も素面ですが。失礼な方ですねぇ……」
酷く憮然とした態度で責められて、柳火は思わず自分が悪いのだろうかと思いかけた。
「ともあれ戦いますよ。時間が惜しいです。一時間しかありませんからね」
「え……えぇー……」
そう、胡乱な返事を返したのが数分前の事である。
「……。…………。………………」
「どうでしたか?」
「……こんなの詐欺だろ」
「詐欺とは失礼な。だから言ったじゃないですか、竜殺しの牛蒡だと」
地面に大の字に転がる柳火は、兜の奥から遠い目で空を見上げていた。
全身が痛い。
「牛蒡に……何で牛蒡に……俺が負けるんだ?」
「まあ立派な武器でしたからね」
結果は惨敗だった。
こればかりは負けを認めないわけにもいくまい。
だって柳火は、牛蒡にベシベシ叩かれまくって気がつけば地面に転がっていたのだから。
見下ろしてきている紅コートの男は、マジで涼しい顔で牛蒡でぶん殴ってきた。大鎌の斬撃を牛蒡でいなし、的確に全身を牛蒡で殴打していった。多分、六十回以上ぶん殴られた気がする。途中、何度か鍔迫り合い──鍔なんて牛蒡にはないが──もした気がするが、両断される事もなく牛蒡は傷一つ付いていなかった。
わけがわからない。
「納得されましたか?」
「……納得出来るわけ無いだろ」
「頭が硬いですねぇ……」
嘆かわしい、と言わんばかりの声音で言われたがこればかりは俺は悪くない、と柳火は思った。
◆ROUND:02 ~『16Shot』編~
「次はもうちょっとマトモに頼む」
「先程もマトモなつもりだったんですが……まあ良いでしょう」
言うファストは、しかし無手のまま柳火と向かい合っていた。
武器を取り出す気配はない。
「俺は武器を使うわけだが……本当に良いのか?」
「先日それで叩きのめされておいてソレを言いますか?」
「むっ……」
それもそうか、と思い直して改めて柳火は大鎌を構えた。この男の武器の有無があまり関係無い事は、身を持って思い知ったばかりである。慢心を持っていては勝てない、と改めて反省しつつファストを見据えた。
「行くぞ!」
鋭い呼気を吐けば大鎌を手に駆け出す柳火。その刃の刈り取る領域へと獲物が入り込んだ瞬間に、素早く横薙ぎの斬撃を放つ。しかしファストはそれに対して後ろに退かなかった。斜め前方へと飛び込むような前転運動で死神の刃を回避すれば、そのままの勢いを殺さぬまま素早く立ち上がり柳火へと接敵し、殴ってくる……かと思いきや。
「は!?」
ファストが素早く繰り出したのは握り拳ではなく、人差し指だった。
兜の隙間を狙った目潰し──酷く非効率かつ狙い難そうな攻撃ではあるが無くはない──か、と判断し思わず首を横に向ける柳火。殴られる可能性は無くは無かったが、それでも兜越しなら多少は耐えられる。そう思ったからだった。
が、しかし。
ガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!
感じた衝撃は一撃ではなく、十六連撃だった。細かく、しかし力強い振動はわりとえげつない勢いで兜を豪快に揺すった。視界がブレるぐらいだったのだからその威力は並ではない。勿論、中身である頭も、その内側にある脳みそも振動をモロに受けることとなる。
思わずふらついたが、それでも何とか反撃を繰り出す柳火。しかしその攻撃はファストを捉える事はない。紅コートはまたもや死角から兜を連打する。人差し指で。
「ちょ、ま」
ガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!
「この、……くそ!?」
ガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!
「う……っ」
当然の様に、気持ちが悪くなってきた。
軽く脳震盪のような症状が出ている気がするが、もはや柳火にはよく分からない。
何とかそれでも戦おうと奮闘すること暫し。
吐き気と目眩で柳火がぶっ倒れたのは、それから数分後の事だった。
「大丈夫ですか?」
「もう吐けねぇ」
「でしょうねぇ」
やっとスッキリしてきた頭を振りながら木陰から戻ってきた柳火へと、遠く離れた場所からそんな相槌を返してくるファスト。そちらへと視線を向けて純粋な疑問を投げた。
「……何したんだアンタ」
「十六連打です」
「じゅうろくれんだ」
「こう、人差し指でですね。叩きました」
貴方の鎧と頭を、と人差し指を立てて見せるファスト。
その表情には嘘がない。
「なんだそれ……」
「いえ、前にとある場所で『名人』と名乗る方とお会いしましてね。その方に教えていただきました。一秒間に十六連打するのがコツ、だそうです」
「何でそれを俺に……?」
「ふと思い出したので、試してみたくなったと言いますか」
朗らかに笑うファストに、柳火が胡乱な眼差しを送ったのは言うまでもない。
◆ROUND:03 ~『ミリヤラスト』編~
「そろそろ普通のを頼む」
「注文が多いですね……まぁ、あの蜂蜜の対価と思えば安いものですか」
言えば、ファストは紅コートの内側から──多分何らかの術式を使っての事だろうが──ずるりと何かを引っ張り出した。二つ折りにされた、わりと大きな物体である。それを片手で持てば手首の捻りだけで軽く振ってやるとバネが弾けたような勢いで伸び上がった。怪訝げに眺めていた柳火の視線を感じてか、ファストは小さく笑って口を開いた。
「弓です。昔から愛用する一品でして」
「弓」
それにしては、と柳火は唸った。普通の弓といえば細く長い棒をやんわりと曲げたような形をしていて、長さはあっても横幅はさしてないものが基本だ。が、これは全く違う。どういう機構なのか、巨大な化け物の顎か何かの様なパーツがついていて、ちょっとした盾ほどもある巨大なそれを弓と称して良いのか迷うところではある。
その末端から伸びる弦は三本あり、どれもがやたらと太い。子供の小指ほどもあるのではないかと思わせる頑丈なもので、三本の交点で一つにまとめてある。そこを持って多分引き絞るのだろう、というのだけは察せられた。
「何というのか……ゴツいな」
「よく言われますが……どうもこういう弓の方が自分は落ち着きますね」
言えば、適度に距離を取るファスト。
「遠距離武器という事で、多少先程よりは距離をいただきますよ?」
「構わないさ」
まあ本体がどれだけゴツくても弓は弓だ。そう割り切って柳火は再び大鎌を構える。ファストが矢を番え、弦を引き絞るのを確認したところで走り出した。相手の武器は遠距離武器だ。適度な距離がある場合ならともかく、近接に詰めてしまいさえすれば無意味となる。
「今度こそ……!」
打ち勝ってみせる、という気合も充分に走り出した柳火の耳に矢が放たれた音が聞こえた。瞬間、恐ろしく速い気配を感じ取り反射的に大鎌を振るう。確かな手応え。だが、やたらと思い。何事かと思い刃が切り裂いたものを見て、柳火はぎょっとした。それは矢ではあったが、通常のものとは明らかに形状が異なっていたからだ。
矢柄の長さは普通の矢と同じだろう。しかし太さが違う。万年筆ぐらいはあろうかというそれに、ちょっとした短剣程もある鏃がついているのだ。人に当たれば大穴が開くのではと思わずには居られない。
「竜狩り用の矢なのでお気を付けください」
「人相手に使うものじゃないだろうコレは!?」
「大丈夫ですよ、柳火さんなら。……ほら、次はもうちょっと面倒なのをやりますよー」
にこにこ、と音がしそうな笑顔でのたまうファストから嫌な気配を感じて柳火は身構えた。接近しようと前に出る足を思わず止めてしまったのは、動くのはマズいという直感があったからだ。果たして、その勘は的中する。
ファストの放った次の矢は、一体どういう原理でか放たれた直後に無数に分裂した。確かに放たれる瞬間までは一本だった筈のものが、高速で飛来する途中で数を一気に増やしていく。その数、下手すれば数十本以上。その全てが、恐ろしい速度で弧を描いて飛来したのだ。攻城戦もかくやと言わんばかりの光景である。
「無茶苦茶だろう!?」
思わず叫びながら半ばやけくそで柳火は大鎌を振り回した。重い手応えを何度も何度も切り裂いて、気がつけば周囲の地面に突き立つ無数の矢の群れの只中で、彼の立つ場所だけきれいな穴が空いている。最後に落ちてきた一本を叩き切り、今度こそ駆け出す。隙が出来たこのタイミングで、距離を詰めるしか無い。
が、しかし。
「終わりだと思うのは早計では?」
狙いを定め、衝撃を耐えるためだろう。ファストは片膝を付き、柳火へと弓を向けていた。その番えられた矢の後方に何故か火花が散っているのが見える。ヤバい、と思った時には遅かった。恐ろしい勢いですっ飛んできた矢はバリスタなどとは比べ物にならない速度で柳火を襲ったのだ。
大鎌で身を庇う事が出来たのは日頃の鍛錬の賜物だろう。大きな刃にぶち当たりつつも切り裂かれることもなく推力を失わなかった頑丈な矢は、そのまま角度を変えて空へ向けてすっ飛んだ。途中、頭を守っていた兜を掠めて吹っ飛ばしていったのだからその勢いは言わずもがなである。思わず尻もちをつく柳火。
「さすが柳火さんですね。アレに反応出来るのですから」
「竜狩り用の技を人に放つな」
「最近は攻城戦などで城落としの際などに使うので、ある意味対人向けですよ?」
「やかましいわ」
ドッと感じた疲れに心が荒むのも、半ば致し方ない話だった。
◆ROUND:04 ~『アッチャラペッサー』編~
「……そろそろ一時間か」
何だかもっと長くこの苦行に向き合っていた気がする。そんな事を思いながら柳火は大鎌を構えた。そろそろ時間切れになってしまう訳だが、現状、一度も勝てていない。ここらへんで一つ勝利を、いやせめて多少は苦戦を相手に強いてみたい。そんな切実な思いを胸に、柳火は敵を見据える。
そんな事を思われているなど知りもしないファストは、あまり疲れている様子では無かった。息も乱れていなければ怪我もしていない。さっきからボロクソにされている自分とは裏腹に余裕すら感じる。
「次の一手は何だ……?」
警戒心を隠しもせず得物を構える柳火へと、ファストが口を開いた。
「アッチャラペッサー」
「あ……?」
何を言っている?
思わず聞き返す柳火に、相手は繰り返した。
「アッチャラペッサー」
「あっちゃらぺっさー」
「アッチャラペッサー」
「いやだから、その何とかってのは」
「アッチャラペッサー」
「ファスト?」
「アッチャラペッサー」
「おい?」
「アッチャラペッサー」
狂ったか? とその正気を疑い出した辺りで柳火は気付く。
何故か動けない。
体も怠い。
しかも体力も削られている気がする。
しかも妙にその呪文──だろう多分、きっと──は耳に残った。
アッチャラペッサー。
一度聞けば意識にこびり付くような。
思わずつられて、声に出してしまう柳火。
「あっちゃら……」
「アッチャラペッサー」
「アッチャラ、ペッサー」
「アッチャラペッサー」
「アッチャラペッサー」
「アッチャラペッサー」
「アッチャラペッサー」
「アッチャラペッサー」
もう、アッチャラペッサー以外何も考えられない。
朦朧とする意識の向こうで、ただその謎めいた呪文だけが響いていた。
「大丈夫ですか?」
「……ハッ」
多少心配げな声音に、意識が引き戻される。
今なにかとても悪い夢を見ていた気がした。
「俺は、一体……」
「流石にぶっ続けで戦っていましたからね。疲れが出たのでしょう。フラフラし始めたかと思ったら、倒れてしまっていたんですよ、貴方」
「そ、そうか……迷惑をかけた」
「構いませんよ。一時間は貴方に付き合う。そういう約束ですしね」
まあもうその一時間も過ぎましたが、とファストは肩を竦めて見せた。
「なのでもうおしまいでいいですか?」
「あ、……あぁ」
構わない、と告げれば約束通りに蜂蜜瓶を手渡す柳火。
それを満足げな表情で受け取るファストの様子からは先程の狂気は感じられない。
いや……先程の狂気、とは?
「ファスト」
「何でしょう?」
「その……何か変な呪文をアンタ、最後に使わなかったか?」
「? 何の話ですか?」
「……そう、か」
何でもない、とそう告げて柳火はその日の手合わせをお開きとした。
きっと幻か何かを見たのだろう、そう結論づけてこの件については忘れ去ることにしたのだ。
世の中には知らないほうが良いこともあるのだから。畳む
【リプレイもどき】あまりのロトロ vs店主戦EX【捏造あり〼】
【リプレイもどき】あまりのロトロ vs店主戦EX【捏造あり〼】
店シナリオ「あまりのロトロ」にて対戦可能な店主戦を色々アレンジしたリプレイもどき。
妄想と捏造と補完で出来た小説みたいな何か。
シナリオ作者の柳の火様 のキャラを一部お借りしております。
#よその子 #柳火(黒パナ)
#うちの子 #ファスト
「手合わせ? ……俺とやるつもりなのか?」
「えぇ。以前、その程度なら付き合っても構いませんよ……と言ってあったでしょう?」
謳う烏亭の一角。さほど広くもない部屋にいる三人の内、紅コートの幾分年経た男──ファストが問いの言葉に頷いてみせる。
「お互い忙しい身です。こういう機会も少ないですからね。……まあ、こちらの商品をのんびりと見せていただくのもなかなかに有意義ではあるのですが」
言って、チラリと視線を向けた先では淡い微苦笑を浮かべる女性の姿があった。夏樹と名乗る彼女は、ファストの言いたい事を正確に察している様だった。悪戯な眼差しを後ろへと送る。目線の先には、壁に背を預け腕を組む青年がいたが、その表情は読めない。それも当然だろう。彼の頭頂部はすっぽりと独特の兜──当人曰く、パナッシュと呼ばれる部類のものらしい──に覆われていたからだ。
「……そうだね。なかなか会おうとして会える事自体が難しいものね」
「む」
こもり気味の唸り声。青年──柳火が頬を掻く代わりに兜の表面をコツコツと指先で叩くのを横目に、彼女は続けた。
「もう何回かこちらの方、来店してたんだよ? 実は」
「マジか」
「ははは、マジですね。此方で店を始めたと聞いたので、何度かお邪魔はさせて頂いていたのですが……毎度、貴方は留守でして。挨拶の一つも出来ませんでしたのでね」
「ほら、何ヶ月か前にお高い紅茶頂いたって話したでしょう? その時が初回でね?」
「それは……何というのか、申し訳ない」
普段は高慢な言動も垣間見せる柳火ではあったが、別に礼儀を知らないわけでもなければ人の心が無いわけでも無い。尋ね人を何度も空振りさせていたと聞けば多少なりと罪悪感はわいてくる訳で、謝罪の一つもしようというものだった。もっとも、謝られている当人はあいも変わらずにこにこと穏やかな笑みを浮かべて見せているわけだが。
「いえ、構いませんよ。冒険者たるもの、引く手数多というのはある意味良い事です。閑古鳥であるよりかはね」
まあ暇な方が世は平和なのかもしれませんが、などと嘯く口調は冗談の様な軽さであったがどこまでが本気なのかを柳火は結局読み取れずにいた。兜の下で己が苦い顔をしている事を、この客は察しているのだろうかと眉根を寄せる。
ファストと柳火。二人は、普段からそれぞれに異なる宿で活動している冒険者である。
他の多数の冒険者達と彼らが少し違うのは、お互いよく一人きりで依頼を受け活動することが多いという事だった。基本的に冒険者は一人きりでは動かない。複数人でチームを組み活動するのが一般的だ。ソロ活動をする冒険者というのは相応の実力を持たねば生き延びることが出来ず、そして生き延びてしまえばそれはそれで界隈の中において嫌でも目立つものである。
二人が知り合ったのは、そういった特に望んだわけでもない名声の招いたトラブルが原因だったりはするのだが……閑話休題、今では偶にどこかで顔を合わせては軽く挨拶する程度の交流を持つ様にはなっていた。とはいえ、それは本当に軽く挨拶する程度でここまで長時間同席する機会はそうも無かった。
ただ、二、三、交わした言葉の中で手合わせの一つでも出来たら面白いだろうとか何だとか言ったような記憶は、柳火にもある。半ば社交辞令──にしても物騒極まりないのかもしれないが──の様な一言だったが、それを覚えていてわざわざ提案してくれる辺りは律儀と言えるのだろう。しかし、どうにも柳火が警戒してしまうのはファストの食えない性格を多少は知っているからだった。
(まあ……流石に普通に手合わせするだけのつもりだとは思うが)
何を考えているのか良く分からない笑顔のままのファストへと、柳火は声をかける。
「……とりあえず、場所を変えようか。裏に結界を張った場所がある。そこなら誰も迷惑かけずに、思う存分暴れられるはずだ」
「やる気満々ですねぇ」
「……言い出したのはそっちだろうに。夏樹」
柳火は、複雑な表情で男二人を見ていた妻へと声をかけた。
「少し遊んでくる」
「うん、分かった。あまり苛め過ぎないようにね」
「おやおや……苛められてしまうのは怖いですねぇ」
「どの口がそんな事を」
呻く様に呟きながら、得物である大鎌を片手に扉を潜ろうとした矢先に飛び込んできた影を柳火は捕まえる。栗色の髪と尖った耳をした男だった。口元は布で隠され表情は窺い辛いが、ぐぇ、というカエルを絞めた様な声が聞こえる。非難の眼差しが即座に向けられたが、兜の中からしれっと悪びれない声で柳火は告げた。
「丁度良いところに。水城、あんたも一緒に来い」
「……知ってた」
水城と呼ばれた男は何を言っても無駄かと諦め顔でぼやけばそのまま引きずられつつ外へと連れ出されていく。その光景に小さく笑いながら、ファストは残された夏樹へと軽く一礼して後に続くのだった。
案内された先は、木々の生える合間にある開けた空間だった。聞こえるのは風に揺れる草葉の音程度で、随分と静かなものである。人払いも兼ねた結界の効果もあるのかもしれない。その真ん中付近までくれば、柳火は水城を開放した後で鈍く光る大鎌を手に振り返りつつ口を開く。
「さてと……、手合わせ前の準備といこうか」
これは実戦ではない。ならばこそ、充分な準備時間を与えるのが柳火の常であった。誰が相手であろうと、手合わせを頼まれればそうしてきた。今までもずっと。だから今回も──例え相手の方が経験豊富だろうが何だろうが──同じ対応をしようとしていたのだ。
しかし、
「!」
「待てファスト! これ以上は──」
移動中に教えてもらったばかりの名を水城が叫ぶように呼んで制止する声を聞きながら、柳火は自らの勘に従い素早く身を捻り鎌を構えた。ほんの一瞬の時間を置いて、今まで首のあった位置をあっさりと薙ぎ払っていく鋼色の風。踏み込みの音も気配も感じなかった。それ程の不意打ちの一撃を、曲線を描く刃がギリギリで弾き返す。
殺意すらない一閃。しかしそれは、明らかに手合わせなどという言葉には不釣り合いな必殺の攻撃だった事を感じ取り、極力抑えようとしていた柳火の闘争心に火が灯る。
「もうこの際、遠慮しなくても良いよな?」
「えぇ、えぇ……ご自由に。私は貴方に合わせるだけですから」
でも、手合わせ程度で貴方は満足しますか?
どこから、何時の間に取り出したのか。しろがねの刃を煌めかせる剣を手に、場の空気と不釣り合いな程穏やかに微笑む紅コートの男の眼差しが、そう語っている。だからもう、柳火は我慢するのをやめた。
「手合わせなんてもう生温い。……ファスト、勝負だ!」
言うが早いか、柳火は瞬時に自らに防護の術をかける。直接的な対決は初だが、ファストは武術だけでなく魔術にも通じた戦士であるのは風の噂で知っていたからだ。ならばその攻撃手段の一つを封じるのは大切な事である。先手をとり、魔術的な効果を完全に遮る力が全身が覆うのを感じながら長柄の大鎌を手に構えた。踏み込んだ左足が大地を叩き、そこを軸に腰と腕の力でもって下方から斜めに切り上げる様に刃を振り回す。その斬撃は酷く重い。まともに正面から打ち合えば剣を持っていかれる事は必死だろう。
それを見抜いているからだろう。ファストは後方に一歩引く事で応じた。喉元ギリギリを鎌の刃先が振り抜かれていくのを見送りながら得物を手に柳火の懐に踏み込もうとして、しかしやめる。選んだのは攻撃ではなく──
……ギィンッ!!!
目にも留まらぬ速さで迫る刃を受け流す事だった。先の空振りをそのまま利用し、更に回転を乗せて再度大鎌を振るう柳火の一撃をいなした剣が、勢いに負けてファストの手の中から弾き飛ばされる。霊体すら仕留めそうな一撃を無理に耐えれば手首を痛めかねない。それを嫌厭して手放した自分の武器が、遠い地面に落ちる音に振り返る事すらせずにファストは軽く首を傾げて呟いた。
「その大きさの得物を扱っておいて、なかなかの速度を出しますね?」
「武器も無いのに余裕の態度だな」
にじり寄るように距離を詰めながらも、柳火は警戒を解かない。本来ならば短時間で追い詰められたと見てもおかしくない現状ではあるが、ファストの言動に焦りが無いからだ。魔術を封じられ武器を失った程度でお手上げになる様では、ソロで冒険者など出来はしない。それは自らもソロで活動する機会の多い柳火自身が誰よりも理解している事である。
「あまり舐めていると、幾らアンタでも足元を掬われるぞ……!」
とはいえ、相手の戦力が落ちているこの好機を逃す訳にはいかない。短く叫ぶと同時、素早く距離を詰め大鎌で凪ぐように連続した斬撃を放つ柳火。一薙ぎする度にその速度と鋭さを増す刃は、当たれば必殺の威力を込めた強烈なものだ。が、しかし。
「それはどちらの話でしょうか、ね?」
囁き声を残して、刃の軌跡すれすれの場所で紅コートが翻る。低い、よく通る声で歌声が響いた。酷く複雑な旋律は、明らかに戦闘中に紡ぐには場違いに難易度が高い。それを、柳火の攻撃を丁寧に回避しながらファストは紡いでいた。勿論ただの歌ではない。濃密な魔力の気配が音色の内側には滲んでいる。呪歌だ。
思わず柳火は、先程自らにかけた防護の術を確認した。長時間継続出来るものではなかったが、まだ効果時間の内だ。例えどれほど強大な術であろうとも、それが魔力を利用したものである限りその術の効果は届かない。それを理解している筈だというのに、一体何を考えているのか。兜の内側で柳火は眉根を寄せる。彼の視界に入っていた紅コートが消え失せたのは、その一秒後だった。
気付いた時には、もう遅い。
腹部に軽く触れる、掌の感触。
壊れ物を扱うような静かな接触から、一拍を置いて。
「ぐぉッ!?」
重い衝撃が内臓を打ち据える。衝撃に吹き飛ばされ背中から地面に叩きつけられた衝撃で思わず咳き込みながら、柳火は何とか首を上げた。唇を切ったのか、口の中に生臭い味が広がるのを感じながらも呻く。
「ゲホッ……今、のは……」
「気功法を使いこなす相手は、下手な武器持ちより危険ですよ。身体強化を最大限に行った相手ならばなおさらに。実戦だったならば致命的な所でした。……勿論、御存知でしょう?」
「さっきの呪歌は、攻撃じゃなく……強化目的か。アンタ……油断させるために、わざと武器を手放したのか……?」
「まさか。アレは望んでの展開ではありませんよ。……まあ、想定内の事ではありましたが。貴方の武器と貴方自身の実力を考えれば、ね」
うっすらと口元に笑みを貼り付けて、ファストは落ち着いた足取りで地に落ちたままだった剣を拾い上げる。それを鞘へと収めながら、ようやっと身を起こす柳火へと視線を投げた。鎌の柄を支えに立ち上がるまでを見守りながら、剣はコートの内側へとしまい込まれていく。
「では仕切り直しと参りましょうか」
「……その余裕面、絶対ぶん殴ってやる」
「出来るならばどうぞ?」
言いながらファストがコートの下から抜き放つのは、形の同じ二刀一対の片刃の短剣だ。その刀身には既に仄かな炎の気配が宿る。
「今度は私から行かせていただきますね」
軽い口調と裏腹、地を砕く程の衝撃を伴う踏み込みは紅の影を瞬時に最大速度まで加速した。編み上げられた術式は、刀身へと絡みつけば鮮やかな火の粉を散らし使い手の動きに軌跡を描く。柳火の刃の内側へファストが躍り込んだのは、ほんの瞬く間の事だった。
「天を砕く一撃、耐えきれますか?」
膂力と速度、更には技巧でもって放たれたのは天を焼く焔の一閃。
どれが欠けても成せない一撃が、柳火を襲う。
「チィ……ッ!!!」
既に防護の術式は時間切れだ。純粋な技術でこの攻撃をしのがなければならない。柳火は即座に大鎌を手放し短剣を引き抜いた。身を焼き尽くそうと踊る焔を時に引き裂き、時に回避しつつ追いすがる相手の二対の刃を弾き返す。そして、ほんの僅かの炎の切れ間を見逃さず大鎌を蹴り上げれば再び柄を握りしめ、全身の力を利用して大振りな横薙ぎを放った。
勿論その動きを見逃す相手ではなく、ファストは即座に後方転回を一度二度繰り返し距離を取る。大鎌の刃は、ほんの僅かにその紅コートの一部に掠めただけだった。尚も追い縋ろうとする柳火だったが、それを妨害する様に投擲されたのは先の短剣だ。一拍遅れで飛んでくる二刀を大鎌の柄で器用に撃ち落とし、続けて次の攻撃に移ろうとする。が、しかし、感じた嫌な気配に反射的に踏みとどまった。
その判断が、彼の命を救う。
ヒュカカカカ──ッ!!
ほんの目と鼻の先を掠める様に虚空を貫通していったのは、先の短剣など小さく見える様な剣の群れだ。その全てに強力な魔力と背筋の寒くなるような威圧感を感じる。神話の武器が顕現したならばまさにこういう気配を感じるのではないかと思えるような凶器の群れは、得物を逃し近くの木々に突き立ち或いは貫通粉砕した後に消え失せた。
一瞬の幻のような蹂躙に血の気が引く。立ち止まっていなければ、あの引き裂かれた木の幹の様になっていたのは柳火自身だったのだ。
「具現術、だと……?」
「おや、御存知でしたか。御名答……まぁ、神話級の武器を一時的に顕現なさしめるのは流石に骨が折れますがね。外れてしまいましたし」
言いながらもファストは指を鳴らす。男の背後の虚空に無数の波紋が現れ、そこからズルリと剣の、槍の、刀の、石突きの、数え切れない凶器の先端が覗くのは悪夢のような光景だった。あのどれもが普通ではない魔力を宿しているのが遠目にもわかる。その全てが無造作に弾丸のように放たれる為だけに顕現させられているのだ。
背筋に立つ鳥肌を感じながらも、しかし柳火は逃げるつもりなど毛頭なかった。見えない兜の内側で自然と口の端が釣り上がる。明確に感じる死の手招き。それは反面、今ここで確かに脈打つ命を感じさせるには充分過ぎた。その感覚が、恐怖や怯えより先に彼を奮い立たせその精神を燃え上がらせる。
「くく……くっはは、は……そうだ、そうじゃあなきゃな……!!」
「……血の気の多い方ですよねぇ、本当に」
得物を握りしめ狂気的とも言える闘志を滾らせる柳火へと、向けるファストの細められた金の瞳に覗くのは濃い呆れの色だった。頭を振れば、ため息をつきながら腕を振り上げる。
「しのいでごらんなさい。メインディッシュとしてはそれなりの難易度でしょう?」
「上等ォッ!!」
吠えて駆け出す狂犬を見据えたまま、ファストが腕を振り下ろす。それを開始の合図に矢の様に放たれる武器の数々。直撃すれば大怪我どころか命すら消し飛びそうな高速で飛来する弾幕に対し、柳火は最小限の回避と大鎌での防御で挑んだ。対応速度とは裏腹、丁寧かつコンパクトな動きで捌きつつも前進は止めない。どうしても避けきれない数々の武器の切っ先が、その全身を細かく切り裂き浅い傷を大量に刻んでいく。
それでも柳火は止まらない。兜の奥から彼が見据えるのは、ファストの首ただ一つ。
具現術による神器の嵐を潜り抜け安全な空間へと走り出た柳火は、そのままの勢いを殺すこと無くファストへと接敵する。同時に、場に幻影を見せる空間を展開した。撹乱と揺動を狙った柳火のとっておきだ。普通ならば防御向けとも思えるこの術だが、目の前の敵に自分を見失わせる効果を利用すれば攻撃の一手としても充分に使える。
相手が幻に惑わされている間に気配なくファストの背後へと回り込んだ柳火は、音もなく大鎌を振り上げた。頑強な鋼の鎧をも切り裂いてのける必殺の刃。その凶刃が紅コートを引き裂き血が噴き出す。
──…その筈だった。
「前も言いましたよね」
静かな声だった。
まるで、大人が子供に言い聞かせるような、そんな声。
「貴方の殺気はとても真っ直ぐで正直だからわかりやすい、と」
振り下ろしたはずの刃は何の手応えもなかった。
霞を斬ったかの様だ。
もちろん、刃の先に既に狙った相手の影はない。
「もう少し冷静になりなさい。闘争に溺れる様では、まだまだ半人前ですよ?」
「……ッ!」
反応できたのは半ば勘だ。反射的に前へと上半身を倒すように回避すると同時、頭上を腕が掠めていく。ファストが自分を捉え損なったと判断し反撃に踏み切ろうとする柳火だったが、次の瞬間、高まる魔力の気配にギョッとする。間髪おかず弾ける衝撃。吹き飛ばされ転がりつつも何とか起き上がる柳火へと、背後から囁くような声がかけられる。
「……嗚呼、そうそう。今のを避けられた御褒美に、ひとつだけ教えておいてあげましょう」
振り返った先、言う男の顔に違和感があった。
一体何が、と一瞬訝った柳火だったがすぐに気付く。
何時も身につけている筈のモノクルが、そこにはなかったのだ。
「私の左目は少々特殊な処理を施してありまして……こういった幻の類は効きませんよ。あしからず」
その代わりに、嫌にはっきりと見えたのは、煌々と輝く彩色の瞳。
「呪印起動。魔導封咒刻印、三番から一番までを全て開放」
その文言を鍵として、ファストの右腕を覆っていたコートや革手袋が千切れ飛んだ。晒された腕の表面を紅い光が脈動する様に奔る。周囲からその腕へと、恐ろしい勢いで魔力が吸収されていく気配に柳火の背筋を冷や汗がつたう。
アレはマズいものだ。放置していたら確実に危ない。生存本能の悲鳴に従い、妨害すべく動こうとする柳火。一足飛びに接近すると同時に振るわれた大鎌が唸り、風を斬って迫る動きは今までで一番速い。しかし、ファストの動きはそれより更に速かった。
「疑似レイライン、全段直結……目標の完全沈黙まで、限界の突破を許可する」
眼前から瞬時に消え失せる紅の影。
間髪入れずに下段から掌を打ち据える一撃に、思わず握っていた大鎌が吹き飛ばされ柳火の体勢が崩れた。
「……おしまいです」
がら空きになった懐に滑り込んで来た男は微笑む。
そして、凶悪な魔力の塊を纏った右手が柳火の腹部へと容赦なく叩き込まれた。
「少々、大人気無かったですかね……?」
気絶したまま水城に抱えられて店内へと戻っていく柳火の背を見ながら、ファストは一人ごちる。
「……まぁ、少々興に乗りすぎたのは事実でしょうか。反省案件です」
ファストからしても、久々に手応えのある相手との戦いだったのだ。諦めず食いついてくる姿勢は真っ直ぐで、ついつい何処までついてこれるのかを試してみたくなってしまったのは確かだった。本来なら使わずにおこうと思っていた魔眼やら呪印やらの奥の手を総動員してしまったのも、頑張った彼への褒美のつもりではあったのだが。
これは相手からすると迷惑だったかもしれない、と今更気付いて頬を掻く。説教しておいてなんだが大概己も未熟だ。まだまだ修行が足りないとひっそりファストは反省しつつ、短剣を回収し、再構築系の術式でコートの修繕──流石に皮手袋は欠片も残っていないのでどうにもならない為、諦めた──を行い、懐にしまい込んでいたモノクルをかけ直せば二人の後を追う。
「先ずは、奥方への謝罪ですね」
心配してくれる者が、護るべき存在がまだ柳火には居るのだ。
それはとても得難い宝である事を、彼は理解しているのだろうか。
「……あの死線潜り好きな所さえ直れば、彼女の心労も多少は減るのかもしれませんが」
扉を開く直前。
呟いたその言葉はあまりに小さく、誰に聞かれる事もなく風に紛れるのだった。畳む
店シナリオ「あまりのロトロ」にて対戦可能な店主戦を色々アレンジしたリプレイもどき。
妄想と捏造と補完で出来た小説みたいな何か。
シナリオ作者の柳の火様 のキャラを一部お借りしております。
#よその子 #柳火(黒パナ)
#うちの子 #ファスト
「手合わせ? ……俺とやるつもりなのか?」
「えぇ。以前、その程度なら付き合っても構いませんよ……と言ってあったでしょう?」
謳う烏亭の一角。さほど広くもない部屋にいる三人の内、紅コートの幾分年経た男──ファストが問いの言葉に頷いてみせる。
「お互い忙しい身です。こういう機会も少ないですからね。……まあ、こちらの商品をのんびりと見せていただくのもなかなかに有意義ではあるのですが」
言って、チラリと視線を向けた先では淡い微苦笑を浮かべる女性の姿があった。夏樹と名乗る彼女は、ファストの言いたい事を正確に察している様だった。悪戯な眼差しを後ろへと送る。目線の先には、壁に背を預け腕を組む青年がいたが、その表情は読めない。それも当然だろう。彼の頭頂部はすっぽりと独特の兜──当人曰く、パナッシュと呼ばれる部類のものらしい──に覆われていたからだ。
「……そうだね。なかなか会おうとして会える事自体が難しいものね」
「む」
こもり気味の唸り声。青年──柳火が頬を掻く代わりに兜の表面をコツコツと指先で叩くのを横目に、彼女は続けた。
「もう何回かこちらの方、来店してたんだよ? 実は」
「マジか」
「ははは、マジですね。此方で店を始めたと聞いたので、何度かお邪魔はさせて頂いていたのですが……毎度、貴方は留守でして。挨拶の一つも出来ませんでしたのでね」
「ほら、何ヶ月か前にお高い紅茶頂いたって話したでしょう? その時が初回でね?」
「それは……何というのか、申し訳ない」
普段は高慢な言動も垣間見せる柳火ではあったが、別に礼儀を知らないわけでもなければ人の心が無いわけでも無い。尋ね人を何度も空振りさせていたと聞けば多少なりと罪悪感はわいてくる訳で、謝罪の一つもしようというものだった。もっとも、謝られている当人はあいも変わらずにこにこと穏やかな笑みを浮かべて見せているわけだが。
「いえ、構いませんよ。冒険者たるもの、引く手数多というのはある意味良い事です。閑古鳥であるよりかはね」
まあ暇な方が世は平和なのかもしれませんが、などと嘯く口調は冗談の様な軽さであったがどこまでが本気なのかを柳火は結局読み取れずにいた。兜の下で己が苦い顔をしている事を、この客は察しているのだろうかと眉根を寄せる。
ファストと柳火。二人は、普段からそれぞれに異なる宿で活動している冒険者である。
他の多数の冒険者達と彼らが少し違うのは、お互いよく一人きりで依頼を受け活動することが多いという事だった。基本的に冒険者は一人きりでは動かない。複数人でチームを組み活動するのが一般的だ。ソロ活動をする冒険者というのは相応の実力を持たねば生き延びることが出来ず、そして生き延びてしまえばそれはそれで界隈の中において嫌でも目立つものである。
二人が知り合ったのは、そういった特に望んだわけでもない名声の招いたトラブルが原因だったりはするのだが……閑話休題、今では偶にどこかで顔を合わせては軽く挨拶する程度の交流を持つ様にはなっていた。とはいえ、それは本当に軽く挨拶する程度でここまで長時間同席する機会はそうも無かった。
ただ、二、三、交わした言葉の中で手合わせの一つでも出来たら面白いだろうとか何だとか言ったような記憶は、柳火にもある。半ば社交辞令──にしても物騒極まりないのかもしれないが──の様な一言だったが、それを覚えていてわざわざ提案してくれる辺りは律儀と言えるのだろう。しかし、どうにも柳火が警戒してしまうのはファストの食えない性格を多少は知っているからだった。
(まあ……流石に普通に手合わせするだけのつもりだとは思うが)
何を考えているのか良く分からない笑顔のままのファストへと、柳火は声をかける。
「……とりあえず、場所を変えようか。裏に結界を張った場所がある。そこなら誰も迷惑かけずに、思う存分暴れられるはずだ」
「やる気満々ですねぇ」
「……言い出したのはそっちだろうに。夏樹」
柳火は、複雑な表情で男二人を見ていた妻へと声をかけた。
「少し遊んでくる」
「うん、分かった。あまり苛め過ぎないようにね」
「おやおや……苛められてしまうのは怖いですねぇ」
「どの口がそんな事を」
呻く様に呟きながら、得物である大鎌を片手に扉を潜ろうとした矢先に飛び込んできた影を柳火は捕まえる。栗色の髪と尖った耳をした男だった。口元は布で隠され表情は窺い辛いが、ぐぇ、というカエルを絞めた様な声が聞こえる。非難の眼差しが即座に向けられたが、兜の中からしれっと悪びれない声で柳火は告げた。
「丁度良いところに。水城、あんたも一緒に来い」
「……知ってた」
水城と呼ばれた男は何を言っても無駄かと諦め顔でぼやけばそのまま引きずられつつ外へと連れ出されていく。その光景に小さく笑いながら、ファストは残された夏樹へと軽く一礼して後に続くのだった。
案内された先は、木々の生える合間にある開けた空間だった。聞こえるのは風に揺れる草葉の音程度で、随分と静かなものである。人払いも兼ねた結界の効果もあるのかもしれない。その真ん中付近までくれば、柳火は水城を開放した後で鈍く光る大鎌を手に振り返りつつ口を開く。
「さてと……、手合わせ前の準備といこうか」
これは実戦ではない。ならばこそ、充分な準備時間を与えるのが柳火の常であった。誰が相手であろうと、手合わせを頼まれればそうしてきた。今までもずっと。だから今回も──例え相手の方が経験豊富だろうが何だろうが──同じ対応をしようとしていたのだ。
しかし、
「!」
「待てファスト! これ以上は──」
移動中に教えてもらったばかりの名を水城が叫ぶように呼んで制止する声を聞きながら、柳火は自らの勘に従い素早く身を捻り鎌を構えた。ほんの一瞬の時間を置いて、今まで首のあった位置をあっさりと薙ぎ払っていく鋼色の風。踏み込みの音も気配も感じなかった。それ程の不意打ちの一撃を、曲線を描く刃がギリギリで弾き返す。
殺意すらない一閃。しかしそれは、明らかに手合わせなどという言葉には不釣り合いな必殺の攻撃だった事を感じ取り、極力抑えようとしていた柳火の闘争心に火が灯る。
「もうこの際、遠慮しなくても良いよな?」
「えぇ、えぇ……ご自由に。私は貴方に合わせるだけですから」
でも、手合わせ程度で貴方は満足しますか?
どこから、何時の間に取り出したのか。しろがねの刃を煌めかせる剣を手に、場の空気と不釣り合いな程穏やかに微笑む紅コートの男の眼差しが、そう語っている。だからもう、柳火は我慢するのをやめた。
「手合わせなんてもう生温い。……ファスト、勝負だ!」
言うが早いか、柳火は瞬時に自らに防護の術をかける。直接的な対決は初だが、ファストは武術だけでなく魔術にも通じた戦士であるのは風の噂で知っていたからだ。ならばその攻撃手段の一つを封じるのは大切な事である。先手をとり、魔術的な効果を完全に遮る力が全身が覆うのを感じながら長柄の大鎌を手に構えた。踏み込んだ左足が大地を叩き、そこを軸に腰と腕の力でもって下方から斜めに切り上げる様に刃を振り回す。その斬撃は酷く重い。まともに正面から打ち合えば剣を持っていかれる事は必死だろう。
それを見抜いているからだろう。ファストは後方に一歩引く事で応じた。喉元ギリギリを鎌の刃先が振り抜かれていくのを見送りながら得物を手に柳火の懐に踏み込もうとして、しかしやめる。選んだのは攻撃ではなく──
……ギィンッ!!!
目にも留まらぬ速さで迫る刃を受け流す事だった。先の空振りをそのまま利用し、更に回転を乗せて再度大鎌を振るう柳火の一撃をいなした剣が、勢いに負けてファストの手の中から弾き飛ばされる。霊体すら仕留めそうな一撃を無理に耐えれば手首を痛めかねない。それを嫌厭して手放した自分の武器が、遠い地面に落ちる音に振り返る事すらせずにファストは軽く首を傾げて呟いた。
「その大きさの得物を扱っておいて、なかなかの速度を出しますね?」
「武器も無いのに余裕の態度だな」
にじり寄るように距離を詰めながらも、柳火は警戒を解かない。本来ならば短時間で追い詰められたと見てもおかしくない現状ではあるが、ファストの言動に焦りが無いからだ。魔術を封じられ武器を失った程度でお手上げになる様では、ソロで冒険者など出来はしない。それは自らもソロで活動する機会の多い柳火自身が誰よりも理解している事である。
「あまり舐めていると、幾らアンタでも足元を掬われるぞ……!」
とはいえ、相手の戦力が落ちているこの好機を逃す訳にはいかない。短く叫ぶと同時、素早く距離を詰め大鎌で凪ぐように連続した斬撃を放つ柳火。一薙ぎする度にその速度と鋭さを増す刃は、当たれば必殺の威力を込めた強烈なものだ。が、しかし。
「それはどちらの話でしょうか、ね?」
囁き声を残して、刃の軌跡すれすれの場所で紅コートが翻る。低い、よく通る声で歌声が響いた。酷く複雑な旋律は、明らかに戦闘中に紡ぐには場違いに難易度が高い。それを、柳火の攻撃を丁寧に回避しながらファストは紡いでいた。勿論ただの歌ではない。濃密な魔力の気配が音色の内側には滲んでいる。呪歌だ。
思わず柳火は、先程自らにかけた防護の術を確認した。長時間継続出来るものではなかったが、まだ効果時間の内だ。例えどれほど強大な術であろうとも、それが魔力を利用したものである限りその術の効果は届かない。それを理解している筈だというのに、一体何を考えているのか。兜の内側で柳火は眉根を寄せる。彼の視界に入っていた紅コートが消え失せたのは、その一秒後だった。
気付いた時には、もう遅い。
腹部に軽く触れる、掌の感触。
壊れ物を扱うような静かな接触から、一拍を置いて。
「ぐぉッ!?」
重い衝撃が内臓を打ち据える。衝撃に吹き飛ばされ背中から地面に叩きつけられた衝撃で思わず咳き込みながら、柳火は何とか首を上げた。唇を切ったのか、口の中に生臭い味が広がるのを感じながらも呻く。
「ゲホッ……今、のは……」
「気功法を使いこなす相手は、下手な武器持ちより危険ですよ。身体強化を最大限に行った相手ならばなおさらに。実戦だったならば致命的な所でした。……勿論、御存知でしょう?」
「さっきの呪歌は、攻撃じゃなく……強化目的か。アンタ……油断させるために、わざと武器を手放したのか……?」
「まさか。アレは望んでの展開ではありませんよ。……まあ、想定内の事ではありましたが。貴方の武器と貴方自身の実力を考えれば、ね」
うっすらと口元に笑みを貼り付けて、ファストは落ち着いた足取りで地に落ちたままだった剣を拾い上げる。それを鞘へと収めながら、ようやっと身を起こす柳火へと視線を投げた。鎌の柄を支えに立ち上がるまでを見守りながら、剣はコートの内側へとしまい込まれていく。
「では仕切り直しと参りましょうか」
「……その余裕面、絶対ぶん殴ってやる」
「出来るならばどうぞ?」
言いながらファストがコートの下から抜き放つのは、形の同じ二刀一対の片刃の短剣だ。その刀身には既に仄かな炎の気配が宿る。
「今度は私から行かせていただきますね」
軽い口調と裏腹、地を砕く程の衝撃を伴う踏み込みは紅の影を瞬時に最大速度まで加速した。編み上げられた術式は、刀身へと絡みつけば鮮やかな火の粉を散らし使い手の動きに軌跡を描く。柳火の刃の内側へファストが躍り込んだのは、ほんの瞬く間の事だった。
「天を砕く一撃、耐えきれますか?」
膂力と速度、更には技巧でもって放たれたのは天を焼く焔の一閃。
どれが欠けても成せない一撃が、柳火を襲う。
「チィ……ッ!!!」
既に防護の術式は時間切れだ。純粋な技術でこの攻撃をしのがなければならない。柳火は即座に大鎌を手放し短剣を引き抜いた。身を焼き尽くそうと踊る焔を時に引き裂き、時に回避しつつ追いすがる相手の二対の刃を弾き返す。そして、ほんの僅かの炎の切れ間を見逃さず大鎌を蹴り上げれば再び柄を握りしめ、全身の力を利用して大振りな横薙ぎを放った。
勿論その動きを見逃す相手ではなく、ファストは即座に後方転回を一度二度繰り返し距離を取る。大鎌の刃は、ほんの僅かにその紅コートの一部に掠めただけだった。尚も追い縋ろうとする柳火だったが、それを妨害する様に投擲されたのは先の短剣だ。一拍遅れで飛んでくる二刀を大鎌の柄で器用に撃ち落とし、続けて次の攻撃に移ろうとする。が、しかし、感じた嫌な気配に反射的に踏みとどまった。
その判断が、彼の命を救う。
ヒュカカカカ──ッ!!
ほんの目と鼻の先を掠める様に虚空を貫通していったのは、先の短剣など小さく見える様な剣の群れだ。その全てに強力な魔力と背筋の寒くなるような威圧感を感じる。神話の武器が顕現したならばまさにこういう気配を感じるのではないかと思えるような凶器の群れは、得物を逃し近くの木々に突き立ち或いは貫通粉砕した後に消え失せた。
一瞬の幻のような蹂躙に血の気が引く。立ち止まっていなければ、あの引き裂かれた木の幹の様になっていたのは柳火自身だったのだ。
「具現術、だと……?」
「おや、御存知でしたか。御名答……まぁ、神話級の武器を一時的に顕現なさしめるのは流石に骨が折れますがね。外れてしまいましたし」
言いながらもファストは指を鳴らす。男の背後の虚空に無数の波紋が現れ、そこからズルリと剣の、槍の、刀の、石突きの、数え切れない凶器の先端が覗くのは悪夢のような光景だった。あのどれもが普通ではない魔力を宿しているのが遠目にもわかる。その全てが無造作に弾丸のように放たれる為だけに顕現させられているのだ。
背筋に立つ鳥肌を感じながらも、しかし柳火は逃げるつもりなど毛頭なかった。見えない兜の内側で自然と口の端が釣り上がる。明確に感じる死の手招き。それは反面、今ここで確かに脈打つ命を感じさせるには充分過ぎた。その感覚が、恐怖や怯えより先に彼を奮い立たせその精神を燃え上がらせる。
「くく……くっはは、は……そうだ、そうじゃあなきゃな……!!」
「……血の気の多い方ですよねぇ、本当に」
得物を握りしめ狂気的とも言える闘志を滾らせる柳火へと、向けるファストの細められた金の瞳に覗くのは濃い呆れの色だった。頭を振れば、ため息をつきながら腕を振り上げる。
「しのいでごらんなさい。メインディッシュとしてはそれなりの難易度でしょう?」
「上等ォッ!!」
吠えて駆け出す狂犬を見据えたまま、ファストが腕を振り下ろす。それを開始の合図に矢の様に放たれる武器の数々。直撃すれば大怪我どころか命すら消し飛びそうな高速で飛来する弾幕に対し、柳火は最小限の回避と大鎌での防御で挑んだ。対応速度とは裏腹、丁寧かつコンパクトな動きで捌きつつも前進は止めない。どうしても避けきれない数々の武器の切っ先が、その全身を細かく切り裂き浅い傷を大量に刻んでいく。
それでも柳火は止まらない。兜の奥から彼が見据えるのは、ファストの首ただ一つ。
具現術による神器の嵐を潜り抜け安全な空間へと走り出た柳火は、そのままの勢いを殺すこと無くファストへと接敵する。同時に、場に幻影を見せる空間を展開した。撹乱と揺動を狙った柳火のとっておきだ。普通ならば防御向けとも思えるこの術だが、目の前の敵に自分を見失わせる効果を利用すれば攻撃の一手としても充分に使える。
相手が幻に惑わされている間に気配なくファストの背後へと回り込んだ柳火は、音もなく大鎌を振り上げた。頑強な鋼の鎧をも切り裂いてのける必殺の刃。その凶刃が紅コートを引き裂き血が噴き出す。
──…その筈だった。
「前も言いましたよね」
静かな声だった。
まるで、大人が子供に言い聞かせるような、そんな声。
「貴方の殺気はとても真っ直ぐで正直だからわかりやすい、と」
振り下ろしたはずの刃は何の手応えもなかった。
霞を斬ったかの様だ。
もちろん、刃の先に既に狙った相手の影はない。
「もう少し冷静になりなさい。闘争に溺れる様では、まだまだ半人前ですよ?」
「……ッ!」
反応できたのは半ば勘だ。反射的に前へと上半身を倒すように回避すると同時、頭上を腕が掠めていく。ファストが自分を捉え損なったと判断し反撃に踏み切ろうとする柳火だったが、次の瞬間、高まる魔力の気配にギョッとする。間髪おかず弾ける衝撃。吹き飛ばされ転がりつつも何とか起き上がる柳火へと、背後から囁くような声がかけられる。
「……嗚呼、そうそう。今のを避けられた御褒美に、ひとつだけ教えておいてあげましょう」
振り返った先、言う男の顔に違和感があった。
一体何が、と一瞬訝った柳火だったがすぐに気付く。
何時も身につけている筈のモノクルが、そこにはなかったのだ。
「私の左目は少々特殊な処理を施してありまして……こういった幻の類は効きませんよ。あしからず」
その代わりに、嫌にはっきりと見えたのは、煌々と輝く彩色の瞳。
「呪印起動。魔導封咒刻印、三番から一番までを全て開放」
その文言を鍵として、ファストの右腕を覆っていたコートや革手袋が千切れ飛んだ。晒された腕の表面を紅い光が脈動する様に奔る。周囲からその腕へと、恐ろしい勢いで魔力が吸収されていく気配に柳火の背筋を冷や汗がつたう。
アレはマズいものだ。放置していたら確実に危ない。生存本能の悲鳴に従い、妨害すべく動こうとする柳火。一足飛びに接近すると同時に振るわれた大鎌が唸り、風を斬って迫る動きは今までで一番速い。しかし、ファストの動きはそれより更に速かった。
「疑似レイライン、全段直結……目標の完全沈黙まで、限界の突破を許可する」
眼前から瞬時に消え失せる紅の影。
間髪入れずに下段から掌を打ち据える一撃に、思わず握っていた大鎌が吹き飛ばされ柳火の体勢が崩れた。
「……おしまいです」
がら空きになった懐に滑り込んで来た男は微笑む。
そして、凶悪な魔力の塊を纏った右手が柳火の腹部へと容赦なく叩き込まれた。
「少々、大人気無かったですかね……?」
気絶したまま水城に抱えられて店内へと戻っていく柳火の背を見ながら、ファストは一人ごちる。
「……まぁ、少々興に乗りすぎたのは事実でしょうか。反省案件です」
ファストからしても、久々に手応えのある相手との戦いだったのだ。諦めず食いついてくる姿勢は真っ直ぐで、ついつい何処までついてこれるのかを試してみたくなってしまったのは確かだった。本来なら使わずにおこうと思っていた魔眼やら呪印やらの奥の手を総動員してしまったのも、頑張った彼への褒美のつもりではあったのだが。
これは相手からすると迷惑だったかもしれない、と今更気付いて頬を掻く。説教しておいてなんだが大概己も未熟だ。まだまだ修行が足りないとひっそりファストは反省しつつ、短剣を回収し、再構築系の術式でコートの修繕──流石に皮手袋は欠片も残っていないのでどうにもならない為、諦めた──を行い、懐にしまい込んでいたモノクルをかけ直せば二人の後を追う。
「先ずは、奥方への謝罪ですね」
心配してくれる者が、護るべき存在がまだ柳火には居るのだ。
それはとても得難い宝である事を、彼は理解しているのだろうか。
「……あの死線潜り好きな所さえ直れば、彼女の心労も多少は減るのかもしれませんが」
扉を開く直前。
呟いたその言葉はあまりに小さく、誰に聞かれる事もなく風に紛れるのだった。畳む